| 信長と犬山 〜サル犬山にも行くぞ!〜 |
| 信長の天下取りは、那古野→清洲→小牧→岐阜→安土へと、次々に覇権を掌中に納め、いよいよ拡大して行く。そして、ドラマは堺商人、宣教師との交わりで、地球が円いこともいち早く知り、特に、ヨーロッパとの交易にまで力を入れ、異常なまでの関心を示し始めて行くのである。その点信長は開かれた日本を築こうとした最初の人物とも言えようか。 しかし、何はともあれ信長の偉業を忍ぶには、尾張統一時代の自由奔放の青年時代を抜きにして語ることはできない。 もともと尾張の「大うけつけ者」といわれた織田信長は、父信秀の死後22才で清洲城に入り、ようやく織田家の内粉を治め、織田家の家督を継ぐことになる。しかし、内憂外患の戦いに明け暮れる日々の生活が続き、山野を駆け巡り、時には十数騎の部下と、危険を冒してまでも、岩倉の親類の所に馬を進めている。そして、今の布袋あたり、清洲から25kmもあろうか、織田側の土豪生駒屋敷に立寄ったりしていたようである。もちろん桶狭間の合戦以前の話であるが・・・・・ そこで見染めたのが吉乃である。信長には、もともと斎藤道三から迎え入れた敵方の娘“濃姫”がいたが、二人の仲は疎遠なものであったと思われる従って、その意味からしても、初恋の人は実はこの生駒吉乃だと言われている。 吉乃は尾張小折(現江南市小折)の豪商生駒家宗の娘で、信長の生母の実家土田家に嫁ぐが、夫弥兵次が戦死し、僅か2年足らずで未亡人となり、生駒家に出戻りしている。 かくして信長に見染められてからの吉乃は、信長の寵愛を一身にあつめ、長男信忠、二男信雄を年子として出産し、その3年後には長女徳姫(家康の長男信康に嫁ぐ)と、次々に子を設けたが、織田の姓を名乗らせたのはこの3人だけという。信長にとって吉乃は、尾張統一、今川義元との決戦、美濃侵攻など、戦いに明け暮れるすさんだ信長の心を癒すに足る、やさしい情の細やかな女性であったのである。 このことは、江南市吉田龍雲氏宅の蔵で伊勢湾台風後に発見された、武功夜話(前野家文書)から判明してきたのである。この武功夜話は、藤吉郎に仕えた前野将右衛門の甥が口述したもので、全三巻、門外不出としてあった貴重な文書である。これを素材とした歴史小説、津本陽氏の“下天は夢か”や遠藤周作氏の“男の一生”には、その内容が詳細に記述されている。 もともと彼女の生駒家は、炭や油を取り扱い、運送を家業としており、屋敷内には諸国を往来する多くのご家人衆をかかえていたので、全国の情報にも精通していたという。 藤吉郎(後の秀吉)、蜂須賀小六(後に子家政が阿波17万石の太守)、前野将右衛門(後に出石10万石の大名)らが屋敷に出入りしており、吉乃がとりなして信長の家来にしたと言われている。しかし、吉乃は不幸にも生来病弱であったため、信長は吉乃の身体を案じて、どじょうを採って元気をつけさせたり、伊木山(各務原市、夕暮富士の別名)の山芋が良いと聞き人を使って採らせ食べさせたりもしている。 そして信長は、尾張をほぼ統一した頃、1563年(永禄6年)小牧城の築城に合わせ、麓の小牧市小木に御殿を造り、そこに吉乃を呼び寄せ正室扱いをしている。 1564年(永禄7年)伊木山の斎藤方土豪伊木清兵衛を蜂須賀小六が朋友の誼みで説得、味方に付ける。ついで、犬山城主・織田信清を放遂、後に甲州・武田方へおちのび、犬山哲斉と称した。 そして宇留間城の大沢治郎左衛門主水を調略した藤吉郎の功績は、信長がその才を買い出世の糸口をつけたと言ってよい。そのエピソードについて述べますと、 「犬山城の黒煙を見られたか。城は既に陥ち申した」 と藤吉郎は必死で大沢治郎左衛門を説得した。 「犬山が陥ちた今、大沢殿はなにゆえに上総介(信長)に刃向かわれる。われらとても無益な戦にて、、貴辺ほど武将を失うのは辛うござる。貴辺はもとより、御一家の御命もこの藤吉郎の身命にかえてお助け申すにつき、すみやかに逆心を捨て申されよ」 「みどもの申すことお疑いならば、貴辺の御返事を承ってそれを信長公に伝えたる後、この城に戻って参る。さらばこの藤吉郎を人質となされて、信長公のお許しを確かめられよ」 犬山の内田の岸で舟を持っている信長に、 「畏れながら・・・畏れながら」 木下藤吉郎の指図にて宇留間城に共した松倉衆喜太郎は叫んだ。 「藤吉郎殿はただ今、宇留間城に進んで人質になられ、大殿さまのお許しをお待ちしております。治郎左衛門の一命のお助けくだされば、藤吉郎殿の面目もたちまするが・・・」と必死で言上した。 「さもなくば大沢治郎左衛門との約束により、藤吉郎殿の安否、計りがたくなにとぞ御助命のことお許し願います」 信長はつめたい声で 「かの者、織田信清を唆し、色を立つること二度、三度、ために無益の人馬の損亡数限りない。こたびの騒乱をかもしだした張本人は後世の見せしめのため、首うち落とせ」 |
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