犬山周辺カメラ撮影ガイド   撮影及び文:青山松之(犬山市)
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犬山周辺カメラ撮影ガイド(6) 犬山と多治見の国宝

 愛知県には、国宝の建造物が三つあり、そのうちの二つが犬山市にある。犬山城天守と茶室如庵である。
(三つ目は、金蓮寺弥陀堂  幡豆郡吉良町  鎌倉時代 )
 岐阜県にも、国宝の建造物が三つあり、そのうちの二つがお隣、多治見市にある。永保寺開山堂と観音堂である。
(三つ目は、安国寺経蔵  吉城郡国府町 室町時代)
 今回は、距離的にも近い、この四つの国宝をご紹介したい。建築の専門家ではないので、風景写真となるが、特に犬山城と
その周辺(伊木山、城山=鵜沼城、猿啄城、小牧山、岐阜金華山など)は戦国時代の舞台であり、信長の美濃攻略、
小牧・長久手の戦い、関が原の戦いなどで犬山周辺がしばしば登場した。歴史を知れば撮影意欲も湧いて来るというものだ。
(信長の美濃攻略については、江南市の吉田造園で発見された前野家文書「武功夜話」を資料とした、
津本陽「下天は夢か」や、遠藤周作「男の一生」に、犬山周辺がリアルに描かれている。)
犬山城天守 一棟
桃山時代に造営。昭和27.3国宝再指定。昭和40年解体修理。
三重四階、地下2階付き、石垣5米、天守高さ19米、 本瓦葺き、 
南面、西面附け櫓。別名白帝城(荻生徂徠の命名)。         
天文6年(1537)信長の叔父、織田信康が現在地に造営、その後70余年増改築を重ね、
現在の姿になったのは城主が成瀬家になってからで、1614年頃といわれる。
 明治4年、廃藩置県で廃城となり、櫓、門等は取り壊されたが、費用がなく天守閣は残った。
明治24年の濃尾大地震で相当破損したが、自費で修理するという条件で旧藩主成瀬正肥に下賜され、
全国唯一の個人所有の城となった。昭和10年国宝に指定された。国宝の城は現在全国で4箇所のみで、
姫路城、松本城、彦根城、犬山城である。
(第2次大戦末期、昭和20年に名古屋城、仙台城、和歌山城、広島城、首里城などが焼失した。)
犬山城天守(鵜沼側から)

天守正面(南側) 内部・地下1階   内部・2階(武具の間と武者走り)
茶室 如庵 一棟
江戸初期、元和四年(1618)作。昭和26.6国宝再指定。茶室二畳半台目、
入母屋造、柿(こけら)葺き。床脇にウロコ板(三角板)をいれ、斜めの壁を作る
「筋違いの囲い」や古暦を貼った腰張、外側から竹が詰め打ちになった二つの「有楽窓」など
独創的な工夫で有名である。
茶室前の露地に加藤清正が朝鮮から持ち帰った石で作った蹲踞(つくばい)、「釜山海」や
有楽好み井筒、「佐女牛井」(さめがい)がある。旧正伝院書院は国の重要文化財である。
(国宝建造物で三度も引越したことで有名)
当初、元和四年(1618)頃、京都建仁寺塔頭、正伝院内に作られた
明治41年(1908)、東京麻布、三井家本邸に移築(昭和11年国宝指定)
昭和13年(1938)、大磯別邸・城山荘へ災害対策として移転
昭和45年名鉄所有となり、47年犬山有楽苑に移転

(左)旧正伝院書院(重要文化財)と
(右)茶室・如庵(国宝)
茶室 如庵   如庵内部

織田有楽斎長益(1547−1621)(父、信秀の11男で、信長の弟、淀殿の叔父。)武将としてよりも折衝役、補佐役、
茶の宗匠として名を成した。文字、算勘をよくし、謙虚で、忍耐強く、交渉ごとや交際等に欠かせぬ人物であったので、信長死後も
秀吉、家康に重用された。関が原戦では東軍に属し、後3万石の大名となった。また秀忠の茶道指南役として江戸にも屋敷を構え、
有楽町、数寄屋橋の名を残した。大阪冬の陣では、秀頼守役として講和を斡旋、夏の陣の前に、京都 建仁寺正伝院に
隠棲 茶室如庵を建てた。このように75歳まで戦乱の世をしたたかに生き抜き、家系は明治まで続いた。
温厚な人柄、豊かな教養、芸術的天分に恵まれたが、世渡りもなかなかの人物である。

臨済宗南禅寺派虎渓山永保寺
多治見の北東、土岐川の流れに臨み小高い丘の傾斜を利用した虎渓山永保寺は禅僧、夢窓疎石が、中国江西省の名山、
廬山の虎渓に景色が似ているとして、庵を営んだことから始まったとされる。室町時代には山内三十余坊を数えたが、応仁の乱等で
ほとんど焼失し観音堂、開山堂、庭園のみが昔の姿をとどめている。明治以後、方丈、庫裏、座禅堂などが整えられ今日にいたっている。
 開創 夢窓疎石 (1275−1351)   
 鎌倉末期〜室町初期の臨済僧。伊勢の人、天竜寺を開山したほか、諸国に安国寺を建立した。また庭園を愛好し、
 各地に名園を残した。正和2年(1313)より当地に3年滞在された。
 開山 仏徳禅師(元翁本元)(1282−1332)                    
 夢窓国師の法弟で、国師が再び行脚に出られた後を継がれた。

永保寺観音堂(水月場) 一棟  
正和3年(1314)建立。 昭和27.3国宝指定。
明治39年解体修理。鎌倉末期の唐様建築のすぐれた遺作といわれる。
屋根に美しい反りを持ち、木割が細かく、細部に装飾が多いが、全体と
して禅宗様式の簡素美がある。ご本尊は聖観世音菩薩(県重要文化財)である。
庭園は観音堂、岩山、橋(無際橋)、池(臥竜池)などで巧みに組み合されていて、
中世禅宗寺院の庭園として国の名勝に指定されている。なお、庫裡前に天然記念物
大銀杏の木があり、山内には天然記念物シデコブシ群生地がある。

永保寺開山堂 附宝筐印塔  一棟
文和元年(1352)建立。 昭和27.3国宝指定。
明治41年解体修理。入母屋造で檜皮葺。純正唐様ともいうべき室町期の代表的建築である。堂内には夢窓国師像、仏徳禅師像、宝筺印塔が安置されている。
なお、開山堂は庭園西北部の奥まったところにあり、漠然と歩いただけでは見当らないので注意されたい。
永保寺観音堂と無際橋
 
永保寺 観音堂 永保寺 開山堂

建造物や庭園の撮影は通常あまり移動できない狭い場所からとなるので、28mm以上の広角レン
ズがよい。時には25mmや18mmが欲しくなる。しかし、広角レンズは上下に傾けると歪曲収差
がでるので、できるだけ水平に保ち、慎重に構図を作らねばならない。